「指示どおりにやったのに」
体育座りをして、膝の下に両腕を入れて体を丸める。そのまま後ろにコロンと倒れ、お腹に力を入れて、なるべくゆっくり起き上がる──。
トレーナーがやって見せたその動きを、50代の女性は2、3回繰り返しました。途中で「ブチ」と音がして、激痛で動けなくなった。診断は第1腰椎の圧迫骨折。10日間入院し、3日間は車椅子でした。医師からは「完治しない。後遺症のリスクが高い」と告げられています。
彼女には、人間ドックで骨密度の低下を指摘された経験がありました。本人は、その情報を「トレーナーに伝えていないと思う」と述べています。
これは、2026年5月27日に消費者庁が公表した調査報告書に記録された、実際の事故です。そして報告書が示すとおり、これは特別な一件ではありません。同じ構造の事故が、7年間で196件積み上がっていました。
「指示どおりにやったのに、なぜケガをするのか」。この記事は、その問いに整形外科の知見と世界の安全基準の両面から答えるものです。
30秒でざっくりわかる、この記事のポイント
- 消費者庁が、パーソナルトレーニングの事故を分析した調査報告書を【2026年5月27日に公表】した
- 国の事故データベースに登録された事故は【7年間で196件】。【41%が治療1か月以上】で、背骨・腰椎の骨折もある
- 器具の落下など偶発的な事故は【わずか7%】。残り【93%は「指導や運動の中身」そのもの】に起因する
- 事故の核心は「過負荷 × 既往歴の見落とし × 『無理・痛い』のサインの黙殺」という構造
- 主要国・地域では「【事前の健康スクリーニング】」「【トレーナーの業務範囲の明文化】」「【医療との連携】」の三層で安全を支えている
- 国の報告書は、トレーナーに必要な知識として「【医師等の専門職との連携】」を明記した。ただし求めたのは国家資格化ではなく、業界横断の安全基準づくり
目次
- この記事で使う用語
- 何が報告されたのか
- 整形外科医の視点──なぜ「その運動」でケガをするのか
- 事故は3段階のどこかで起きる
- 主要国・地域ではどう安全を支えているか
- 日本の制度はどうなっているか
- 医師とトレーナーの連携──報告書が示した方向
- 国は何を求めたのか
- 正直に言うと
- 運動する方へ
- トレーナー・事業者の方へ
- さらに学びたい人のために
この記事で使う用語
専門用語がいくつか出てきます。先に確認しておくと読みやすくなります。
パーソナルトレーニング ── 報告書での定義
報告書では「個人の健康状態や運動能力等に応じ、トレーナーが運動プログラムを定め、その指導の下、消費者が運動を実施することを内容とするサービス」と定義されています。1対1だけでなく、実質的に個別プログラムを提供していれば1対複数も含まれます。オンライン指導も対象です。
事前健康スクリーニング ── 運動を始める前のリスク確認
運動を始める前に、既往歴・症状・服薬などを確認し、「医師に相談すべき人」を見分けるための仕組み。質問票(PAR-Q+、GAQ、APSSなど)やアルゴリズム(ACSM)が国際的に使われています。診断そのものではなく、「医療につなぐべき人」を拾い上げるのが目的です。
業務範囲(scope of practice) ── 「どこまでやってよいか」の線引き
その資格の人がどこまで担えて、どこからが医師など他職種の領域か、という線引き。海外では「診断・治療・処方はトレーナーの範囲外」と明文化されています。今回の事故の本質も、この線を越えた(痛みの訴えを医学的に判断せず、運動を続けさせた)点にあります。
医行為 ── 医師でなければ行えない行為
医師法第17条が定める「医業」の中身で、「医学的知識や技能をもって行わなければ人体に危害を及ぼすおそれのある行為」と解されています。痛みの原因を診断したり、治療として運動を処方したりすることが該当します。該当するかどうかは個別具体的に判断されます。
圧迫骨折 ── 背骨がつぶれる骨折
背骨を構成する椎体が、押しつぶされるように変形する骨折。骨密度が低下していると、日常的な動作の負荷でも起こりえます。前かがみ(屈曲)の姿勢で負荷がかかると、椎体の前側に応力が集中し、くさび形につぶれる「楔状(けつじょう)骨折」が起こりやすくなります。
横紋筋融解症 ── 筋肉が壊れて全身に影響する病態
過剰な運動で骨格筋の細胞が広範に壊れ、その中身(ミオグロビン、クレアチンキナーゼなど)が血液中に流出する病態。重症では腎臓を傷め、急性腎障害に至ることがあります。慣れていない人への、いきなりの高強度・高回数のトレーニングが誘因になりえます。
漸進性過負荷(ぜんしんせいかふか) ── 少しずつ負荷を上げる原則
トレーニング効果を出すには負荷を計画的に「少しずつ」高めていく、という基本原則。逆に言えば、初回からいきなり限界まで追い込むのは、この原則に反します。「無理のない負荷の継続が、長期的には安全で効果的」というのは、報告書の消費者向けメッセージとも一致します。
何が報告されたのか
消費者庁の消費者安全調査委員会(いわゆる「消費者事故調」)が、約3年かけて調査し、2026年5月27日に公表したのが『消費者事故等調査報告書 パーソナルトレーニングにおける事故』です。特定の誰かの責任を問うためではなく、同じ種類の事故が今後発生・拡大するのを防ぐための、国の公式調査という位置づけです。
数字で見ると、像がはっきりします。
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| 累計の事故件数(2019〜2025年、事故DB登録) | 【196件】 |
| 治療に1か月以上を要した割合 | 【41%(81件)】 |
| 運動・指導に起因する事故の割合 | 【93%(偶発的な事故は7%のみ)】 |
| 件数の推移 | 2019年14件 → 2025年44件(増加傾向) |

図1 数字で見る、パーソナルトレーニング事故(消費者庁報告書より作図)
ケガの部位は、多い順に腰・股関節(59件、30%)、膝・足=下半身(44件、22%)、肩・腕(20件、10%)。傷病名には圧迫骨折・半月板損傷・腱断裂・椎間板ヘルニア・靭帯損傷が並びます。整形外科の外来で日常的に診る外傷そのものです。年代は40代が最多ですが、20代から80代以上まで全年代に広がっています。
ここで最も重要なのは、【事故の93%が偶発的なものではない】という点です。「腹筋中にダンベルが落ちてきた」といった、運動の中身と関係のない事故はわずか7%。残りの大半は、「指示された運動でケガをした」「負荷が重すぎた」「指導が不適切だった」という、【指導の中身そのもの】に起因していました。
つまりこれは「たまたま運が悪かった」事故ではなく、構造的に起きている事故だ、というのが報告書の出発点です。
整形外科医の視点──なぜ「その運動」でケガをするのか
ここからは、整形外科の知見で「なぜその運動でケガをするのか」を解説します。重要なのは、【抵抗運動(筋トレ)そのものが危険なのではない】という点です。むしろ適切な評価と漸進的な負荷の下では、筋力トレーニングは心血管疾患の有無にかかわらず成人にとって安全で有益だと、米国心臓協会(AHA)が2023年に公表した科学的声明(2024年Circulation掲載)が示しています。問題は運動そのものより、「誰に・どの負荷で・どう進めるか」という運用にあります。冒頭の事例も、この運用が外れた典型でした。
骨密度の低下した背骨に、前屈みの負荷
冒頭の腰椎圧迫骨折を、もう一度見てみます。報告書自身が、この運動の危険性をこう分析しています。膝の下に両腕を入れて体を丸める姿勢は、腰椎の前弯(自然なカーブ)を失わせ、丸まった状態を固定します。そこに体を起こす力が加わると、腰椎の椎間板に外圧・内圧の両方から圧力がかかり、ゆっくり行うことでその内圧がさらに高まる──。
整形外科の観点では、これは典型的な「屈曲負荷による椎体前方への応力集中」です。背骨の椎体は、前かがみになると前側に圧縮力が集中します。骨密度が保たれていれば耐えられても、骨粗鬆症や骨減少症で内部構造が脆くなっていると、日常的な屈曲動作の負荷でも椎体がくさび形につぶれてしまいます。
この点については、古典的な比較研究があります。Sinakiらが、閉経後の骨粗鬆症の女性を運動プログラム別に分けて追跡した研究では、「背骨を反らす(伸展)運動」を行った群で新たな骨折が起きたのは16%だったのに対し、「背骨を丸める(屈曲)運動」を行った群では89%に新たな骨折が起きました。屈曲群は9人と小規模なので数字をそのまま一般化はできませんが、両群の差は際立っています。この研究以降、骨粗鬆症や骨減少症が疑われる人への反復的・強い脊柱屈曲運動は、臨床的に避けるべき動作として扱われてきました。
そして見過ごせないのが、日本人女性の背景です。日本人は欧米人より骨密度が低い傾向が複数の研究で示されており、骨粗鬆症の有病率は加齢とともに上昇します。「中高年女性に、前屈みで腰に負荷のかかる運動を、骨密度を確認しないまま行わせる」ことは、世界的にも日本においても特にリスクの高い組み合わせなのです。
膝・肩・全身でも、機序は説明できる
同じ構造は、他の部位にも当てはまります。
【膝】では、報告書の事故で2番目に多かった部位です。深くしゃがみ込む高負荷のスクワットや、そこにひねりが加わる動作で、半月板の後ろ側に圧縮と剪断の力が集中します。すでに半月板や軟骨に変性がある膝に、深い屈曲と高負荷を「膝がこわい」という訴えを無視して続けさせれば、損傷が起こりえます。報告書の「膝が痛いと伝えたが30回スクワットを続けた」事例は、これにあたります。
【肩】では、ベンチプレスでグリップ幅を広く取りすぎたり、肩を大きく開いた姿勢で重いバーを下ろしたりすると、肩関節への剪断力が増え、回旋筋腱板(ローテーターカフ)に過大な負荷がかかります。一度傷めた腱が回復しきらないうちに「試しにもう一度」と高負荷をかければ、再断裂のリスクが高まります。報告書の「棘上筋を傷めた後、回復途上でベンチプレスを再開し断裂、手術」という事例が示すとおりです。
【全身】では、慣れていない人にいきなり高ボリューム・高強度の運動を強いると、まれに横紋筋融解症という重篤な病態を招くことがあります。「限界です」という訴えを精神論で乗り越えさせる指導は、この組織破壊を進めうるものです。また、強く息をこらえて力む(バルサルバ法)高重量挙上では、血圧が一過性に極端に上昇します。古典的な小規模研究では、高強度の両脚レッグプレス中に、血圧が平均320/250mmHg、最大で480/350mmHgという非常に大きな値に達した記録があります。高血圧や血管の既往がある人では、これが重大な心血管イベントの誘因となりうるため、海外のスクリーニングはこうしたリスクを事前に拾い上げる設計になっています。
なお、これらの重大事故の多くは症例報告に基づくもので、運動と傷害の「関連」は強く示唆されますが、個々のケースで純粋な因果関係を断定することは医学的には困難です。それでも、既往歴・症状・負荷を事前に把握することが合理的なリスク管理であることは、揺るぎません。
事故は3段階のどこかで起きる
報告書が最も重視したのが、事故の発生メカニズムです。パーソナルトレーニングは、①身体状況の共有 → ②運動プログラムの策定 → ③運動の実施、という3段階で進みます。このいずれかで「安全のための行動(確認・調整・中止)」が抜けると、体に合わない運動が実行され、事故になる、という構造です。

図2 事故は3つの段階のどこかで「歯止め」が外れて起きる
報告書の実例を、3段階に整理すると共通構造がはっきり見えます。
- 【段階①の失敗(身体情報が共有されない)】:骨密度低下と骨折歴を伝えていなかった50代女性が、屈曲運動で腰椎圧迫骨折。
- 【段階②の失敗(体に合わない種目・負荷を組む)】:腰痛歴を伝えていた人に、初対面のトレーナーが初回からバーベルスクワットに重りを追加。「持てない」と言ったが「補助するから大丈夫」と続行し、1回で腰を痛め入院。
- 【段階③の失敗(サインが出ても中止されない)】:「限界です」「膝がこわい」と伝えても、「ここを乗り越えないと」「大丈夫」と続けさせられ、ケガに至る。
整形外科医の目で見ると、これらの共通項は3つに集約されます。第一に、中高年(特に女性)の骨密度・既往歴の見落とし。第二に、初回・前屈位・高重量という「いきなり過負荷」。第三に、「痛い・無理」という本人のサインの黙殺。どれも、丁寧な問診と「迷ったら中止」の判断があれば防げた可能性のあるものばかりです。
そして報告書は、利用者側に「もっと声を上げればいい」と求めるだけでは解決しない、と明確に述べています。利用者がサインを出せない背景には、トレーナーを専門家と認識して自分の身体感覚より相手の判断を優先してしまうこと、運動中は指示の理解に意識が向き違和感に気づきにくいこと、といった構造的な要因があるからです。実際、「気軽に相談できる」と答えた利用者は34%にとどまりました。だからこそ、トレーナー側が「言いやすい場」を設計する責任がある、というのが報告書の立場です。
主要国・地域ではどう安全を支えているか
では、海外ではこうした事故をどう防いでいるのでしょうか。各国の制度を調べると、強制力の強さは国ごとに異なりますが、共通する三層構造が見えてきます。【①事前の健康スクリーニング、②トレーナーの業務範囲の明文化、③医療との連携の階層化】です。
① 事前の健康スクリーニング
運動を始める前に、標準化された質問票やアルゴリズムでリスクを確認するのが世界の標準です。
- 【米国】は、アメリカスポーツ医学会(ACSM)が2015年に改訂したアルゴリズムが業界標準です。「現在の運動習慣」「既知の心血管・代謝・腎疾患またはその症状」「目標とする運動強度」の3つで、医師の許可が必要かを判定します。
- 【カナダ】は、運動生理学会(CSEP)が2017年に「Get Active Questionnaire(GAQ)」へ移行しました。4つの質問に1つでも該当すれば、参照資料に従い医師または有資格の運動専門職へ相談する設計です。
- 【オーストラリア】は、Adult Pre-Exercise Screening System(APSS)のStage 1(必須の質問)が、運動開始前の必須段階として位置づけられています。
これらに共通する設計思想は、「低リスクの人には不要な医療の障壁を取り除き、明確なリスクのある人は自己判断を挟まず確実に医療へつなぐ」という二段構えです。
② トレーナーの業務範囲の明文化
「トレーナーがどこまで担い、どこからが医師の領域か」を明文化しているのも共通点です。米国のNCCA認証資格(ACSM、NSCA、NASM、ACEなど)、英国のCIMSPA、EUのEuropeActive(EQFレベル別)では、いずれも【診断・治療・処方はトレーナーの業務範囲外】と定めています。EUのEuropeActiveは、一般のパーソナルトレーナー(EQF4)の対象を「見かけ上健康で低リスクの成人」に限定し、慢性疾患のある人にはより上位の専門資格(EQF5以上)を割り当てる階層構造をとっています。
③ 医療との連携の階層化
フィットネスと医療を制度的につなぐ仕組みも整っています。英国には、NICEの国レベルのガイダンスの下で、かかりつけ医(GP)等から地域の運動紹介スキーム(Exercise Referral)につなぐ枠組みがあり、米国にはACSM主導の「Exercise is Medicine」があります。豪州では、4年制大学を出た臨床運動生理士(Accredited Exercise Physiologist)が、慢性疾患の管理計画の下で公的医療保険(Medicare)の給付対象として、運動療法を担います。
| 事前スクリーニング | 業務範囲 | 医療連携 | |
|---|---|---|---|
| 米国 | ACSMアルゴリズム(2015) | NCCA認証、診断・処方は範囲外 | Exercise is Medicine(医師の紹介) |
| 英国 | PAR-Q+/事業者評価 | CIMSPA基準、保険と連動 | NICEガイダンス下の運動紹介 |
| 豪州 | APSS(Stage1必須) | 臨床運動生理士を別立て | AEPがMedicare給付対象 |
| カナダ | GAQ(2017〜) | CSEP-CPTとCEPを区分 | 医師・QEPへの紹介を必須化 |
| EU | EuropeActive/EN17229 | EQF4〜7で階層化 | 慢性疾患は上位資格へ |

図3 世界の三層構造と、日本に足りないピース
なお、施設レベルでも、欧州ではフィットネスクラブの運営要件を定めた規格「EN 17229:2026」が2026年3月30日に発効しています。報告書でも言及された、施設の安全管理を客観的に評価するための基準です。
日本の制度はどうなっているか
これらと比べると、日本の現状の輪郭がはっきりします。
まず、【日本にはパーソナルトレーナーの国家資格がありません】。報告書によれば、フィットネス分野の民間資格は100以上あり、その養成は「1日の講習で取得できるものから、4年制大学の体育学部卒業が受験要件のものまで」と、習得時間に大きな差があります。質のばらつきが構造的に組み込まれているのです。
ただし、日本にも医療連携を含む資格や制度がないわけではありません。
- 【健康運動指導士】(健康・体力づくり事業財団)は、保健医療関係者と連携しながら安全で効果的な運動プログラムを作成・指導する専門家として位置づけられ、養成課程には生活習慣病・心疾患リハビリ・運動器疾患・服薬・メディカルチェックといった医学的内容が含まれます。受講区分により必要単位は異なりますが、医療と運動の橋渡し役という性格が明確な資格です。
- 【健康運動実践指導者】は、安全な運動の実践指導を担う資格で、整形外科的・内科的障害の予防や救急蘇生も学びます。
- 【日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(JSPO-AT)】は、外傷・障害の予防や救急対応に高度な専門性を持ち、養成には共通・専門あわせて非常に長時間の課程と一次救命処置(BLS)が課されます。ただし主な対象は競技スポーツの現場で、慢性疾患の運動療法とは別の軸です。
そして注目すべきが、【健康増進施設認定規程】に基づく「指定運動療法施設」です。ここでは、提携医療機関の担当医が日本医師会認定の健康スポーツ医であること、健康運動指導士または健康運動実践指導者が常時配置されていることなどが要件とされ、医師の処方に基づく運動療法の利用料が一定条件で医療費控除の対象になります。これは、英国のExercise Referralや米国のExercise is Medicineに機能的に対応する、【日本に既に存在する医療連携の公的モデル】です。
問題は、こうした仕組みが一般のパーソナルジムには及んでいないことです。報告書が指摘するとおり、既存の制度(経済産業省のヘルスケアサービスガイドライン、FIA施設認証、厚労省の身体活動ガイド、スポーツ庁の安全ガイドラインなど)は、いずれもパーソナルトレーニング事故の防止を主眼に作られたものではなく、業界を横断して最低限の安全知識を標準化する仕組みは存在しません。
医師とトレーナーの連携──報告書が示した方向
ここが、今回の報告書で最も見落とされやすく、しかし最も重要な点です。
報告書は、再発防止策として「トレーナーに共通して求められる知識・技術・経験」を列挙しました。そのリストには、解剖学・生理学・バイオメカニクスの知識、運動中の異常の把握・救急対応・リスクマネジメントと並んで、【「医師等の専門職との連携に必要な基礎的知識」】が明記されています。
つまり国は、「トレーナーが医師など専門職と連携できること」を、安全なパーソナルトレーニングに必要な能力の一つとして公式に位置づけたのです。海外の三層構造の「③医療連携」に対応する方向を、日本も向いている、と読むことができます。
では、日本で医師がフィットネスに関与することは法的にどう整理されているのでしょうか。ここは中立に、論点として示します(これは法律上の助言ではなく、実際のサービス設計では弁護士等の専門家確認が必要です)。
出発点は医師法第17条で、「医師でなければ、医業をなしてはならない」と定めています。「医行為」(医学的判断や技術をもって行わなければ人体に危害を及ぼすおそれのある行為)に該当するかは、個別具体的に判断されます。痛みの原因を診断したり、治療として運動を処方したりすることは、これに該当しえます。
一方で、経済産業省のグレーゾーン解消制度では、「医師からの指導・助言に従い、ストレッチやマシントレーニングの方法を教えること等の【医学的判断及び技術を伴わない範囲内の運動指導】は、医行為に該当しない」と確認されています。これは消費者庁の報告書本文でも引用されています。
整理すると、論点は「医師が医学的判断をすること」そのものよりも、【その判断を誰が・どの範囲で・どのような手段(対面かオンラインか)でサービス化するか】に集まります。トレーナーが医師の助言の範囲内で運動指導を行うことと、トレーナーが独自に病態を診断して運動を処方することの間には、明確な線があります。オンラインで個別の症状を聞いて疾患を判断し運動の可否を指示すれば「診療」に近づき、一般的な情報提供や標準化されたスクリーニングにとどめれば「健康相談」の範囲に収まる──この境界の設計が、安全かつ適法な医療連携のカギになります。
報告書が示した方向(トレーナーと医師の連携)は、こうした境界を正しく踏まえた上で設計されれば、海外の三層構造を日本に実装する現実的な道筋になりえます。
国は何を求めたのか
最後に、報告書が「誰に・何を・どの強さで」求めたかを整理します。ここを誤解すると、報告書の意図を読み違えます。
報告書の再発防止策は、3つの層からなります。
- 【安全確保に向けた仕組みの創設】(本丸・中長期):トレーナーに共通して求められる知識・技術・経験の基準づくり、ヒューマンエラーを防ぐ手順、利用者が申告・中止しやすい環境づくりの手順、そして事業者を横断した事故情報の収集。
- 【トレーナーが直ちに行うべき対応】(今すぐ):利用者が不安や痛みを訴えたら、いったん運動を中止し、意向・体調・不安を確認してから、種目や負荷を変える・その日は中止する・受診を勧める。初回から数回目は低強度から始め、フォーム習得と負荷慣れを優先する。
- 【消費者への情報提供】:強い負荷ほど効果が出るとは限らないこと、無理のない負荷の継続が長期的に安全で効果的なこと、気になることは必ず伝えること。
そして関係省庁への「意見」として、経済産業大臣には業界団体への仕組み創設の促進を、文部科学大臣・厚生労働大臣には関係団体への周知を、消費者庁長官には消費者への情報提供を求めました。
ここで重要なのは、【報告書はトレーナーの国家資格化や法律による参入規制を直接求めたわけではない】という点です。基準づくりの主体についても、「すでに知見を持つ複数の業界団体が、まず知見を体系化することが最も適切」としています。つまり国が求めたのは、法的な強制ではなく、【業界が主体となって横断的な安全基準を作り、国がそれを支援する】という枠組みです。海外の「強制力のスペクトラム」(任意推奨→業界自主基準→第三者認証→保険連動→法的義務)でいえば、日本はいま「行政の意見を起点に、業界自主基準づくりへ動く」段階に位置づけられます。
正直に言うと
ここまで「世界はこうしている」と書いてきましたが、誠実に補足すべきことがあります。
【事前スクリーニングや資格要件が、実際に事故率をどれだけ下げるか】を直接示した定量的なエビデンスは、実は限定的です。スクリーニングが医療紹介の負担を減らすことや、特定の集団での横紋筋融解症の発生率などは分かっていますが、「この仕組みを導入したら国全体の事故が何%減った」という厳密な研究は、世界的にもまだ乏しいのが現実です。
また、重大事故は医学的なリスクだけで起きるわけではありません。初回の負荷設計、漸進性、中止する権限、救急対応(AEDの配置と使える体制)、設備の安全──これらが重なって防げるものです。たとえばAEDは、法律で設置を義務づけても、見える化やスタッフ訓練がなければ実際の使用率は上がらない、という研究もあります。「医師連携さえあれば安全」でも「資格さえあれば安全」でもありません。
だからこそ、本当に必要なのは単一の解ではなく、【「事前スクリーニング+業務範囲の明確化+医療への紹介+中止の基準+事故情報の共有」を組み合わせた層構造】です。報告書が3層の再発防止策を示したのも、おそらく同じ認識に立っています。
医師とトレーナーの連携は、その層構造の重要な一部です。万能薬ではありませんが、これまで日本のパーソナルトレーニングに欠けていたピースであることは確かです。
運動する方へ
最後に、これから運動を始める方、続けている方へ。報告書が消費者向けに示したメッセージを、整形外科医の立場から補強しておきます。
- 【強い負荷ほど効果が出る、とは限りません。】 無理のない負荷から始め、続けられることが、長期的には最も安全で効果的です。
- 【気になることは、必ず伝えてください。】 服用している薬、健康診断で指摘されたこと(骨密度の低下など)、過去のケガや骨折、その日の体調、関節の痛みや違和感。トレーナーはあなたの体の中までは見えません。
- 【「無理・痛い」と感じたら、いったん止めるのは正しい行動です。】 「ここを乗り越えないと」という言葉に従う必要はありません。止めて、内容を見直す。それで運動が長く続けば、効果はむしろ高まります。
特に、骨密度の低下を指摘されたことのある方、中高年の方は、前かがみで腰に負荷のかかる運動(深い前屈、丸まった姿勢での腹筋、高重量のスクワットやデッドリフト)について、開始前に一度かかりつけ医に相談することをおすすめします。
トレーナー・事業者の方へ
この記事は、トレーナーを責めるためのものではありません。報告書も明言しているとおり、これは個人の不注意というより、【業界として最低限の安全の知見が標準化・共有されてこなかった】という構造の問題です。
報告書が「今すぐやるべき」としたのは、難しいことではありません。利用者が痛みや不安を口にしたら、いったん止めて確認する。初回から数回は低強度から。そして何より、利用者が「言い出しやすい場」を作る。これだけで防げた事故が、報告書には数多く記録されています。
そして報告書が、トレーナーに必要な知識として「医師等の専門職との連携」を挙げたことは、現場にとって追い風です。「この症状は自分の範囲を超えている」と判断し、医師につなげること。それは指導力の不足ではなく、プロとしての安全管理能力そのものです。自分の業務範囲の限界を知り、その先を専門職に委ねる──それが、世界の標準であり、国が示した方向でもあります。
さらに学びたい人のために
一次資料(報告書そのもの)を読みたいなら
まず読むべきは、報告書本体です。事故の実例、発生メカニズム、再発防止策まで、すべて無料で公開されています。
- 消費者庁 消費者安全調査委員会. 『消費者事故等調査報告書 パーソナルトレーニングにおける事故』. 2026年5月27日. https://www.caa.go.jp/policies/council/csic/report/report_024 → 本記事の事故件数・割合・実例・再発防止策・各大臣への意見は、すべてこの報告書本文から取得しています。
骨密度と屈曲運動のリスクを知りたいなら
骨密度が低下した背骨に屈曲運動がなぜ危険か、そして日本人の骨密度の特徴を示した研究です。
-
Sinaki M, Mikkelsen BA. Postmenopausal spinal osteoporosis: flexion versus extension exercises. Arch Phys Med Rehabil. 1984;65(10):593-596. PMID: 6487063. → 閉経後骨粗鬆症の女性で、屈曲運動群は89%、伸展運動群は16%に新規骨折(屈曲群は9人と小規模)。屈曲運動のリスクの高さを示した古典研究。
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Dennison E, Yoshimura N, Hashimoto T, Cooper C. Bone loss in Great Britain and Japan: a comparative longitudinal study. Bone. 1998;23(4):379-382. doi:10.1016/S8756-3282(98)00114-8 → 英国と日本の高齢者コホートを比較し、日本人で骨密度が低い測定部位があることを示した縦断研究。
抵抗運動の安全性(中立的な全体像)を知りたいなら
「筋トレそのものは危険か」に答える、最新の科学的声明です。
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Paluch AE, Boyer WR, Franklin BA, et al. Resistance Exercise Training in Individuals With and Without Cardiovascular Disease: 2023 Update. A Scientific Statement From the American Heart Association. Circulation. 2024;149(3):e217-e231. doi:10.1161/CIR.0000000000001189 → 適切な評価と漸進的負荷の下では、抵抗運動は心血管疾患の有無にかかわらず成人に安全で有益(2023年12月Epub、2024年Circulation掲載)。
-
MacDougall JD, Tuxen D, Sale DG, et al. Arterial blood pressure response to heavy resistance exercise. J Appl Physiol. 1985;58(3):785-790. doi:10.1152/jappl.1985.58.3.785 → 高重量挙上中の血圧上昇を動脈内で直接測定した小規模研究。レッグプレスで最大480/350mmHgに到達。
海外の安全のしくみを知りたいなら
事前スクリーニングと医療連携の国際標準です。
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Riebe D, Franklin BA, Thompson PD, et al. Updating ACSM’s Recommendations for Exercise Preparticipation Health Screening. Med Sci Sports Exerc. 2015;47(11):2473-2479. PMID: 26473759. → 米国の事前参加スクリーニングアルゴリズム(3変数モデル)。
-
Canadian Society for Exercise Physiology (CSEP). Get Active Questionnaire (GAQ). 2017. https://csep.ca/2021/01/20/pre-screening-for-physical-activity/ → カナダの現行標準スクリーニングツール(PAR-Q+から移行)。
-
National Institute for Health and Care Excellence (NICE). Physical activity: exercise referral schemes (PH54). 2014(2018年レビュー). https://www.nice.org.uk/guidance/ph54 → 英国の運動紹介制度。費用対効果の限界も含めて整理されている。
日本の制度・既存資格を知りたいなら
-
厚生労働省. 健康増進施設認定制度(健康増進施設認定規程・指定運動療法施設). https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/seikatsu/index_00002.html → 医師の処方に基づく運動療法と医療費控除を含む、日本の医療連携の公的モデル。
-
公益財団法人 健康・体力づくり事業財団. 健康運動指導士・健康運動実践指導者 養成講習会要項. https://www.health-net.or.jp/shikaku/shidoushi/index.html → 医療連携を含む国内の運動指導資格の養成内容。
-
経済産業省. グレーゾーン解消制度における運動指導に関する回答(医行為該当性). → 「医師の指導・助言に従い、医学的判断・技術を伴わない範囲の運動指導は医行為に該当しない」とする行政解釈(報告書本文でも引用)。
本記事は、Dr. Buddy所属の整形外科専門医・清水健史が監修しています。記事内容は公的報告書および原著論文に基づいていますが、個人の健康状態によって最適なトレーニングは異なります。持病のある方、治療中の方、骨密度の低下を指摘されたことのある方は、運動を始める前に主治医にご相談ください。なお、本記事における医事法制に関する記述は中立的な論点整理であり、特定の事業の適法性を判断するものではありません。